「家族がほしいだけなんです。」
近況報告
どうもお久しぶりです。最近はいかがお過ごしでしょうか。私は文化祭の準備で忙しい毎日です。そんな中久々の休日。私は休日があまり好きではありません。孤独になるからです。孤独な一日を過ごしていると、あるツイートを目にしました。
人が離れていく
精神疾患とか誰かに言うのはもうやめよう。偏見がひどすぎるし人は離れていくし打ち明けたところで何もいいことがない。
— 葵 (@Gojiaoi9641) 2024年11月8日
人によって解釈は異なると思います。ですが、私は自分の立場から見て、このツイートに深く共感しました。というのも、実際に何人もの人に離れられた経験があるためです。
ここで私が注目したい点は「打ち明ける」という行為です。人によっては「なぜ打ち明けるのか?」「癌の人は『私は癌です』とは言わない。」など、様々な考えを持つかと思います。私の視点から説明しますと、打ち明けるという行為は生きるために必要な行為なのです。
家族
ここではあくまでも私の場合についてお話します。私と同じ境遇にいる方は少なくないと思います。というのも、私には家族がいないのです。実在しないわけではありません。家族という法律上での関係を持つ方々はいます。親はいます。しかし、精神的関係性としての家族が存在しないのです。
具体的な話をしましょう。例えば、バイト先でトラブルを起こしてしまったとします。その時、自分で解決するという手段もありますが(自分で解決するのが大人)、自分で解決できる範疇を超えていることもあります。その場合、相談する人が必要です。その時の相談相手として定番なのが、人生の先輩としての親になります。「人生追い詰められても、最悪親に相談ができる。」この感覚は普通の人であれば持っている感覚だと思います。
私には親がいます。しかし、頼れる親ではないのです。お酒とタバコと宗教におぼれているDVモラハラ家庭。役満です。ああ、麻雀だったら賭けてたのにな。そんな家庭からは逃げ出したいと思うのが自然です。このとき、「一度でも人生失敗したら、親は頼れないから人生終わる。」という危機感が常にまとわりついてきます。なので、「頼れる人を作ろう。」となるのです。ここでようやく「精神疾患や家庭環境など、自分の危機的状況を人に説明しよう。」となるのです。「打ち明ける」という行為です。
特に人によっては、私と同様に家族を再構築しようとします。恋人を作って結婚しようとするということです。そうすれば、最後の最後に逃げ場として支えになるからです。しかし、恋人を作ったとしても、結婚が前提のお付き合いになるため、重くなってしまうのです。重いためうまく行かず、人が離れていってしまう。この現象は私自身重く捉えています。
まとめ
精神疾患を告白するということは「相手を信頼している」ということです。しかしその信頼が重すぎて、重荷になってみんな離れていってしまうようです。精神病の人間はどうすればいいんですかね。私はそういう社会に苛立ちを覚えることがあります。無敵の人を生まないためにも、ぜひ、重荷だと思わずに向き合っていただけると救われる人が増えると思います。