具体化の賜物

抽象的思考ばかり。

質が変わったという話

 

 怒らないでええええええ

 

最近のあれこれ

 みなさま、お久しぶりです。ここ数日は誕生日を迎えたり、友達と飲み会をしたり、課題に追われたりなど、忙しい毎日を過ごしています。そんな日々を過ごす中でひとつ感じたことがあったので、それを記事にしたいと思います。

 

人間関係のあれこれ

 まずは、誕生日を迎えました。おめでとうございます!ということで、彼女と友人がお祝いをしてくれました。嬉しいですね。嬉しい反面、ある出来事がありました。

友人「ま(←私の名前)は彼女と一緒にいて人生楽しい?」

私「基本誰といても人生って楽しくなくないか?」

友人「そんなことはないと思うよ。」

 私にとって一番苦手な質問は「人生楽しい?」です。彼女ができても人生なんて楽しくありません。これは鬱のせいでもあるのでしょう。彼女ができたら鬱が治るなんて、そんなことはありえません。そうだとすれば彼女がいる人間は鬱になりません。

 しかしもう少し根源的なところを探ってみると、ある感情に気が付きました。

 

怒りに対する恐怖

 私は人生が楽しくありません。なぜ楽しくないのかを一言で言うと、怖いからです。誰かと接するときは怖い。自分の発言ひとつで怒られるかもしれないからです。実際にここ数か月はノンデリが発覚して、何を言っても怒られる始末。そりゃ人と接するのが怖くなります。(ノンデリ:ノンデリカシーの略で、デリカシーがないの意)

 怒られたくないので、自分からは極力話さないようにします。自分のやったこととか考えたことを心の中に押し込んで、極力自分からは話さないようになります。

 だからといって孤独でいるのは寂しいです。なので無理して人と接するようになります。このようにして私の人間関係は悪化しているのです。(親友にTwitterフォロー外されて泣いちゃった。)そして、人生はより楽しくないものになっていきました。誰といても楽しくないということです。

 

境界線のあれこれ

 だからといって無理せずに人と接すれば、ノンデリすぎて怒られます。人と人の間には境界線があるらしく、私はいとも簡単にそれを乗り越えた発言をしてしまうらしいです。だから、境界線がない人とは仲良くなれるんですが、そうでない人相手だとほんっっっっとうに仲が悪化します。それも急速に。人は簡単には怒らないなんて嘘です。急に怒り出してそっぽを向いてしまいます。

 どうすれば人とうまく接することができるのだろうか、、。悩ましい限りです。

 

質が変わったという話

 実は、人生が楽しくない理由がここ数週間で変わりました。楽しくない理由の質が変わったのです。彼女ができる前までは、孤独感に苛まれて死にたいと考えていました。でも今は死のうとは考えていません。孤独感はないからです。しかし新たな問題として、無理して人と接しなければならないという問題が浮上しました。これはなかなか面白いなと思い今回記事にしました。

 

 この記事を読んだみんなが良質なコミュニケーションを取れますように。

 

おわり