社会的動物だからなぁ。
リクエスト
記事のリクエストをいただきました。ありがたい限りです。と言いますのも、ここ数日は記事のネタと言えるものがなにひとつないためです。いや、あるにはあるのですが、まだ書くほど思考が深まっていないテーマしかありません。そんなものをブログにしたところで価値があるのかはわからないので、今のところネタ切れ状態としておきます。
そこで、記事のリクエストを募集しました。現在も募集中ですので、悩み相談でも質問でも、なんでもみなさまぜひぜひリクエストしてください。
さて、今回いただいたリクエストはこちらです。
「許さないでいたい。」を掘り下げた記事が読みたいです。「どうでもいい」を極めると、人間らしくなくなるといえるのはなぜですか?苦しくなるのはなぜですか?
「許さないでいたい。」とは下記の記事のことです。
リクエストの内容から察するに、内容が少し抽象的だったのかなと反省しております。ということで、要望通り「人間らしさ」「苦しさ」に焦点を置いてもう少し内容を具体化していきたいと思います。初見の方は上記の記事を先にお読みいただいて、そこから本編へとお越しください。
個性と人間らしさ(補足)
さて、元の記事はいかがでしたか?同じような疑問を持たれたでしょうか?質問者様の疑問の答えは個性と人間らしさを結びつけることで見つかると考えます。
まず、個性とはこだわりの強さと定めました。今日の晩御飯になにを食べるか、目的地までどのルートで行くのか、絵を見たときどのような部分に魅力を感じるか、すべてこだわりで決まるのです。こだわりが弱ければ弱いほど、絵を見た時の感想は薄いものになるし、晩御飯を決められない優柔不断な人間になります。
ここで、人間らしさとは何なのでしょうか?私は人間は社会的な動物だと考えています。社会というものを構成して集団で行動するのが人間だということです。個性がなくなったときのことを考えてみましょう。個性がなくなると、コミュニケーションが取れなくなります。他者から発言を求められても、個性がないため「どうでもいい」という感想以外出てこないのです。社会に馴染むことができないのです。となると、個性のない人間は人間社会に適応できません。人間らしくないというのはこういった文脈で用いました。
また、社会に馴染むことができないのはとても苦しいことです。社会のすべてが「どうでもいい」ので、楽しいという感情を持つことができないのです。楽しいという感情を喪失してしまえば、幸せという感情を持つことが困難になります。つまり私は幸せではないのです。幸せではないので苦しいのです。そういうことです。
まとめ
いかがだったでしょうか?理解が進んだでしょうか?最初は欲望と理性という話から始めようかと思いましたが、社会的動物という切り口の方が思ったよりスッキリまとまったので上記のような説明となりました。皆様も「どうでもいい」とは言わずに、好き嫌いをしっかり定めましょう。そうすることで、他者とのコミュニケーションがより円滑に進むと思います。皆様が幸せになれますように。
おわり