具体化の賜物

抽象的思考ばかり。

許さないでいたい。

 

こだわっていたいということ。

 

 

いまだに

 

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 私は元カノのことを一生恨み続けるし、向こうが悪くないと思っているうちは自分も悪くないと思い込みます。こう言ってしまうと一部の人間からはとても非難されるでしょう。しかし、私が私であるために、恨み続けなければいけないのです。

 

「どうでもいい」は悪

 世間では禅であったりマインドフルネスであったり、物事を受け流すことでストレスを消し去るという考え方が主流になってきました。簡単に言ってしまえば、嫌なことは「どうでもいい」と考えることで気持ちを楽にしましょうということです。

 私も実践者の一人でした。嫌なことがあればどうでもいいと受け流す。しかし今の私は、「どうでもいい」を悪だと思っています。それはどういうことか説明しましょう。

 

「どうでもいい」の究極形

 まず言いたいことは、「どうでもいい」は「こだわりの放棄」だということです。みなさん、こだわりを持つことはありますか?今日の晩御飯は何食べるかとか、昨日作った資料のデザイン納得いかないなとか、皆さん何かしらのこだわりがあるかと思います。こだわりはその人の個性を生み出す、原動力です。物事にこだわるからこそ個性が生まれるのです。その人が晩御飯に何を選ぶか、まさにそれが個性なのです。

 さて、嫌なことがあったときに「どうでもいい」と言ってみましょう。どうでもいいとは選択しないということです。また嫌なことが起きたようです。「どうでもいい」と言ってみましょう。こうして「どうでもいい」を積み重ねていくと、何においても「どうでもいい」と言ってしまう、興味関心がゼロの無個性人間が生まれます。なにか起きてもすぐ「どうでもいい」。嫌だとは言いません。果たしてこれは人間らしいと言えるのでしょうか?私はそうは思いません。

 

私の話

 こうして私は積極的に無個性人間へと変容してしまいました。「どうでもいい」の究極形です。その結果、毎日がどうでもよくなり、毎日やることがなく、苦しい生活をしています。毎日がどうでもいいという考えは本当に苦しいのです。

 なので私は変わろうと思います。元カノのことを一生許さないことにしました。元カノのことを許そう許そうと努力してきました。しかしそれは自分の気持ちを大事にしない行為です。もっと自分を大事にするべきです。無個性人間に落ちぶれたのだから。なので、しばらくの目標。元カノを許さないでいたい。これが私の答えです。

 

お わ り