河野玄斗ごめん。恋愛のがコスパいいわ。
正式にお付き合いすることに
ここ最近、ブログで「恋人のような存在」という発言を何度かしました。この度、その方と正式にお付き合いをさせていただく運びになりました。実は前々から付き合っていたようなものなのですが、対面での告白を希望されたために正式にはお付き合いしておりませんでした。数日前にたまたま予定が合い、ご飯を食べに行き、そこで私から告白をしました。数年ぶりの告白だったため、どう切り出そうかとても悩みましたが、切り出してみればもうとんとん拍子に話が進み、嬉しい限りです。
彼女の好きなところは笑顔が素敵なところです。今回のお相手はマッチングアプリで出会った方で、自分の理想とは何かを明確化した結果出会えたお相手でした。私は笑顔が素敵で女の子らしい方が好きです。その両方に見事に当てはまる彼女と出会えたことは奇跡だと思っております。...実はそんなことはありません。奇跡ではないのです。マッチングアプリでは自分のタイプで検索できるのだから、そりゃ出会えるに決まっています。会話のテンポ感や温度感だけは会ってみないとわからないので、そこは奇跡でした。
契約のコスト
恋愛は契約です。ほかの人すべてを捨てる代わりに好きな人と結ばれる、好きな人を独占できる契約です。そのためにはお互いの理解とお互いの協力が必要です。相手に理解や協力をしてもらえるようにこちらも努力しなければなりませんし、時には運も必要となってきます。このときのコストを考えると、恋愛には莫大なコストがかかります。精神的なコストだけではありません。身だしなみを整えるためにお金がかかるし、デートするにもお金がかかります。金銭的コストもかかってくるのです。
では恋愛のコスパは最悪なのでしょうか?私はそうは思いません。もちろんコストはとても大きいです。しかしパフォーマンスが段違いなのです。例えば私は、毎日死のうと考えていきてきました。しかし莫大なコストをかけて恋愛をしたおかげで、今や死のうとは思えません。恋愛には命を救う力があるのです。
それだけではありません。恋愛は無趣味人間が唯一無趣味から脱却するための方法にもなりうるのです。好きな人の趣味は自分の趣味になります。これは経験すればわかります。趣味を得ることで一人の時間でも楽しむことができるようになります。なんなら、恋人との会話自体が日々の楽しみ、趣味となりうるのです。会話が来ない間も「いつくるかなー」と待つ時間もすべてが人生を彩る材料になりうるのです。詳細は私の書いた記事「無趣味人間の末路」をご覧ください。
河野玄斗さんの発言をアレンジするのであれば、恋愛はコスパ最強の遊びです。コストが大きいですが、その分得られるパフォーマンスがとてもでかい。ハイリスクハイリターンな遊びです。コスパ、遊びという表記は河野玄斗さんの言い方をまねただけで、それ以上の意味はありません。恋愛を軽視しているなどという批判はあたらないのでその点だけはご留意ください。
おわり