具体化の賜物

抽象的思考ばかり。

あの頃のようにゲームができない理由

 

 意味とか考え始めたらそこで終わり。

 

楽しくない、、、

 こんにちは。今日は大学開始の日でした。夏休みがおわり、さあ頑張って行こうと思っていたのですが、身体が動かない。どうにもこうにもうまく行かない。そんなこんなで初授業には行けず、私は一日中布団の中で身体と心を休めていました。しかしいつまでも寝ていることはできません。目が覚めると夕方。空白の時間は精神を病む原因となるため、私はゲームをやってみました。

 しかし、ゲームの感想は「楽しくない、、、」でした。昔から楽しめていた太鼓の達人ぷよぷよをやりました。それなりにプレイはできるけれども、楽しさというより暇つぶし。秒で飽きました。

 

冷める感覚

 どうも、ゲームをやっているとどこかで冷める瞬間があります。それは頭を使うからです。昔のように無心でゲームを楽しむことができないのです。私は前回の記事で「趣味で頭を使うなんて馬鹿げている。」と言いました。

 

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 趣味で頭を使うなんていうのは、頭を楽にするために頭を使うという無茶苦茶な行動なのです。体力の有り余っている人間にしかできません。にもかかわらず私の趣味や暇つぶしは頭を使うようなものしかありません。ゲームもそのうちの一つです。要するに、疲れるんです。そりゃ冷めますよね。冷めた結果、結局は楽しくないという感情になりやめてしまいます。

 考えてみれば、大体の人間は子どもの頃に考えてゲームなんてやっていませんでした。ただ本能的にスティックを動かして得られる結果に感情を動かされてゲームを楽しんでいました。ただ本能的に、理性はゼロで楽しめるものだったはずなんです。同様のことはプロゲーマーのSHAKAさんも述べています。

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意味がない

 我々は物事に意味を見出してしまいます。会話をしていて「怒られてさ、泣いちゃったんだよね。」と言ったら、その言葉の意味は怖かったという意味でしょう。ゲームにも同様に、意味を見出してしまった結果、意味がない判定をして楽しめなくなってしまったのかもしれません。

 ゲームは勝ち負けを決めるために行うものです。では勝ったとして、どうなるのでしょうか?ただ嬉しいだけ?うれしいっていう感情が沸く人はまだゲームを楽しめている人間だと思います。私は勝ったからと言ってなにも感じられません。だから勝ちに意味がないのです。例えば、勝たないとデスソース一気飲みとかいう罰ゲームがあれば別です。しかしそれを一人でやる人間はヤバイでしょ。以上のように、勝ちに意味を見出せないのです。

 小さい頃は勝ちには明確な意味がありました。それは喜びと称賛です。昔はゲームが上手ければ上手いだけ嬉しいし、周りの同級生から称賛されます。しかし大人になるとそんなことはありません。ゲームをやっていてもうれしいと思えないし、周りから称賛されるなんてことは一切ありません。最近だとe-sportsが流行っていますが、そのレベルまでいかなければ称賛なんてされないのです。

 

まとめ

 あの頃は無心でできて、しかも勝てば嬉しいし周りから称賛される。そりゃゲームの虜になるでしょう。しかし大人になってしまえば立場と人間性が変わります。無心ではできないし、勝っても意味なんてない。なんなら、意味を考えてる時点で無心ではできていないということです。意味を考えてしまう時点でゲームプレイヤーとしてはもう終わりなのです。ということで、解決策は意味を考えないことなのかな??知らんけど。

 

お わ り