具体化の賜物

抽象的思考ばかり。

無趣味人間の末路

 

 「趣味がない。しかしやる気もない。」

 

私には趣味がない。

 こんにちは。ここ数日はメンタルが安定しておりました。それは、恋人のような存在ができたためです。彼女と毎晩通話をしているため、規則正しい生活ができ、心の整理もでき、夜のメンタルは安定してきました。前よりは成長したということだと思います。

 しかし昼がとにかくつらい。朝起きてからがとにかくつらい。彼女は毎日インターンで私は夏休み中の学生。彼女も彼女で心に抱える闇が大きく、そのケアをすることで夜は人助けをしている気分になれます。人助けは心の安寧をもたらします。ところが昼になると私は誰とのかかわりも持てません。独り身で神奈川から埼玉まで大学のために引っ越したんです。大学には気軽に呼べる友達もおりません。とにかく独りが寂しい。寂しすぎる。

 そこで趣味というものが必要になってきます。私の趣味は勉強です。「なんだ、趣味あるじゃん!」と思われた方、間違っています。趣味で頭を使うなんて馬鹿げているのです。趣味は頭を空っぽにして楽しめるものでないと、疲れているときに実行できません。私には、頭を空っぽにして行える趣味というものがなにひとつないのです。強いて言えば、音楽ゲームは昔好きでした。今は近くにゲームセンターがないため一切できておりません。また、これは鬱の影響だと思うのですが、ゲームに昔ほど熱中できないのです。不思議ですね~。

 

鬱の悪化

 こうして無趣味生活を続けていると、自己の内面と向き合う以外やることがなくなります。やることがなさすぎて、自分とは何者なのかを考える以外やることがないのです。これが無趣味人間の末路です。実は、自分の正体なんて誰にもわからないということが哲学によりわかっています。だから、いつまでも内面と向き合っていても答えなんて出るわけがなく、気が狂うだけなのです。気が狂った結果どうなるか、その結果がうつ病統合失調症なのです。

 うつ病になっても無趣味は無趣味です。結局自己の内面とまた向き合うしかなくて、気が狂っての繰り返しでどんどん鬱が悪化します。趣味というものはそれくらい人生を左右する大事な要素であることがご理解いただけたかと思います。

 

趣味と自己同一性(アイデンティティ

 趣味はその人の自己同一性を支えます。自己同一性とはアイデンティティのことです。人は趣味に生きる生き物です。先ほどまで述べていたように、暇な時間は趣味をやっていないと気が狂うため、人々は趣味を中心に生きることになります。つまり人生とは趣味なのです。人生の目的は趣味に生きることと言っても過言ではないでしょう。趣味がその人の人生を支える、つまり、その人らしさを表すアイデンティティの一端を担う存在なのです。

 趣味がないということはアイデンティティがないことを意味します。(いや、具体的に言えば趣味がないというアイデンティティを持つ人なのでしょうけれど、人生の生きやすさで考えればそんなアイデンティティに価値はないと言いたくなりますね。)アイデンティティがないので、社会の中では他者に流されて生きるしかない。つまり、社会的な存在としての終わりを意味します。個性がない人間は評価されないという意味です。

 

まとめ

 趣味というものが人生においてどれだけ重要なものであるかご理解いただけたかと思います。無趣味は鬱を引き起こすだけでなく、社会的な評価を低下させうる属性です。趣味がある皆様、おめでとうございます。人生勝ち組です。趣味がない皆様、ともにがんばって生きていきましょう。趣味が見つかるといいですね。(自戒も込めて。)

 

お わ り