自殺未遂をしました。
私は人生に諦めがつきました。なので、死んでみようと思って自殺を試みました。その結果、未遂で終わってしまいました。
自殺系の記事はある程度の需要があります。なぜなら、私はこれまでずっと血眼になって死ぬ方法を探してきたし、それらの記事にはきちんとそれなりにビューがあったからです。なので僕も、自殺未遂後の気持ちを備忘録として残しておきます。きっとレアでしょう、こんな体験は。
事前に申し上げておきますが、これは自殺を推奨する記事ではありません。また、生々しい表現が多々出てきますのでそのあたりを許容できる方はどうぞお進みください。(そもそも許容できない奴はこんな記事読んでいないと信じているよ)
なぜ死ぬのか
そもそも私はなぜ死を選んだのだろうか。その理由のひとつは、この世には生きる理由がないからである。こう言うと「生きてたら幸せになれるよ!」とか「好きな人と結婚したくないの?」とか「生きてるだけで幸せでしょ」とか、いろんな返事を想像してしまう。
そもそも、人は幸せを求めて生きる生き物なのか?それなら、僕は死こそ幸せだと思っているので死なせてほしい。好きな人と結婚するのだって幸せとは限らない。相手に合わせて無理して結婚した場合は?結婚したら相手の性格が豹変した場合は?など、世間一般の幸せ像が本当に幸せなのかは疑問である。
人は幸せを求めて生きるのではない。生きなきゃいけない社会の中で生かされているのが人間なのだ。なぜ生きなきゃいけないのか?それは宗教的な話が多々絡むであろうから僕には到底語り尽くせないと思っている。しかし、生きなきゃいけないという暗黙の道徳があって、そのもとで人類が繁栄してきたことは確かである。
もう少し噛み砕いてみる。人は子どもを産み育てるために生きるわけではないし、人は働くために生きるわけではない。極論、人がいないと人類が滅亡するから、社会の暗黙の了解として「死んではいけない」というルールを作ったのである。人が多く死ねば、社会が成立しなくなってしまう。働き手はいなくなるし、子どもも減ってしまう。国は社会を成立させないと国を維持できない。だから人を死なせないようにしたいのである。国(社会)が、この社会では死んではいけないというルールを暗黙のうちに作っているのである。つまり、人間は生きているのではなく、生きなきゃいけないと思わされている、生かされている存在なのである。生きなきゃいけない社会の中で生かされているのが人間であるというのはこういうことである。
そう考えると、生きなきゃいけないという考えの裏には社会の都合しかないのである。個人の権利が重視される現代では、生きなきゃいけないという社会の都合に振り回される必要なんてないはずだ。本来は生きる理由なんてないのである。わざわざ毎日つらい思いをして働く必要なんてないし、苦痛を感じた瞬間に死ぬことだって本来は自由なはずだ。
これが、死を選んだ理由のうちのひとつである。
他にも理由は多々あるが、それは身の上話になってしまうので割愛する。私生活でめっちゃ我慢してましたっていう話です。
我慢が重なると、自由にしたくなる。現代は個人主義の時代である。個人の権利は尊重されるべきである。現代では自由に意見を言っていいはずだし、それを規制されることはおかしい。同様に、私生活では法を犯さない限り自由にしていいはずである。もちろん、人が不快にならないような振る舞いは社会で生きる上で、マナーとして必須であるだろう。
しかしそこに含まれない行動、つまり法を犯すわけでもないしマナーに違反するわけでもない行動はどうだろう。
例えば、パートナーとお互い同意の上で浮気をする行為はどうだろう。一般に浮気はいけないと言われるが、今回はパートナーの同意を得ているのである。つまりマナーの面では問題ないだろう。また、浮気は法を犯しているわけでもない。「じゃあ浮気はしていいのだろうか?」
例えば、自殺はどうだろうか。一般に自殺はいけないと言われるが、自殺は法を犯していない。また、人目につかないところでひとり寂しく死ぬのであれば、誰も気づかず、そのまま白骨化し、誰の迷惑にもならない。つまりマナーの面でも問題ないだろう。「じゃあ自殺はしてもいいのだろうか?」
人には生きる理由なんてないし、自殺は個人の権利である。私が言いたいことはそういうことだ。生きる理由もなく苦痛な社会を生きる必要性は?そう考えていると、自殺を肯定しない、個人の権利を制限するような社会が嫌いになっていく。
「どうして社会の言うままに生きなきゃいけないのだろう」
「社会は僕の人生のケツを拭いてくれるのだろうか」
「生きろって言う奴は僕の面倒を見てくれるのだろうか」
「社会ってなんでこうも個人を軽視するのだろうか」
「仕方ないって言葉好きだよな、社会」
ということで
自殺してみました。睡眠薬を爆飲み、お酒を爆飲みしてフラフラと。ゴミ袋被って首元ギュ。気づけば寝ていました。ふと目が覚めると息が苦しい。「死ねなかったかあ。」と虚無になった。スマホを見て返事して、ぼーっとしていると後輩から電話がきていた。心配して電話くれたみたい。
実はインスタのストーリーで自殺を実況中継してました。その記憶はないんだけどね。おそらく睡眠薬とお酒で記憶喪失です。親しい友達に、自殺を肯定してくれそうな人だけ詰め込んで、死を匂わせるストーリーをバコバコあげて、今振り返るとマジで痛い人間だった。でもそれくらい人生が苦痛だったから。やっと解放される喜びがあったんだろう。
しかし人間の体はそんなに弱くないらしい。僕のサイキョーの自殺計画では、睡眠薬を飲んで袋被って、首元ギュ。あとはそのまま寝てしまえば死んでいる予定だった。でも生きていた。なんでやねん!その自殺方法紹介してた奴らはどういうことか教えてくれよ!!次回は練炭使うぞコラ!!!!アホぼけなすび!!!!きゅうり野郎!!!!
後輩と電話で話してたら警察が家にきました。僕がベロベロしている間に、友達が警察に通報したみたいです。後輩に自殺未遂のことバレちゃったのがつらいです。
自殺はやめよう
自殺してみた結果!失敗はするし警察もくるし実家に帰らされます。
実は警察がきた後、二度と自殺しないよう保護されました。そして身元引受人に身元を引き渡すことになりました。その結果実家に帰ることになりました。寒い寒い実家で寂しくこれを書いています。
理想を言えば、自殺は個人の権利だと思っているので、いつでも死ねる環境が整っていることは必要だと考えています。しかし、やっぱり自殺で悲しむ人はいるし、生きなきゃいけないらしいです。自分の人生なのにね。誰も僕の人生の問題を解決できないのにね。でも生きなきゃいけない。それが社会の根底にあるルールです。それを守らなきゃいけない。だから死んではいけません。自殺はやめよう。
自殺未遂後の心境
なんだかスッキリした気分だ。自分の思想を警察にぶつけることができた。警察の人も、自殺以外は全部肯定してくれた。だからあとは自信を持って、自分の思想のままに生きようと思う。警察の人はいい人だった。でもごめん、いつかまた耐えかねて自殺を試みると思う。今のうちに謝っておきます。
また、心配してくれた友人の方々、心配させて本当に申し訳ないです。今度、電話とか直接会ってとかで謝罪させてください。お騒がせしました。
普段は謝罪なんて大嫌いな人間なんですが、友達のことは大好きだからちゃんと謝ります。謝罪するので許してください。
最後に、周りに自殺願望ある人がいる方へ。自殺をしたいって周りの人が言い出したら、それを止めれば止めるほど本人は連絡を断とうとするのでオススメしません。できれば「最後の晩餐に行こう」など言ってご飯食べながら号泣するとかの方が効果的です。周りに自殺しようとしてる人がいる方にはオススメしておきます。
以上、自殺レポでした!
みんな健やかに